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密教秘術のコラム〈第6回〉密教秘術四国遍路

「お遍路」という言葉を知っていますか?そう、四国にある88か所のお寺を巡る人たちのこと。このお遍路で行われる参拝方法は、密教真言宗のものを基本としています。これから2回に渡って、お遍路について紹介しましょう。今回はその歴史を解説します。

平安時代に書かれた「今昔物語集」に、四国を修行する人々の様子が登場します。しかし、ここには修行者が厳しい海岸の路を歩きながら修行する姿のみが描かれ、現代のお遍路の姿とは趣が異なります。当時の修行者たちは伊豫、讃岐、阿波、土佐と四国の海岸を選んで修行していることから、当時、海の彼方にあると信じられていた神道上の世界「根の国」へ渡ることを願っていたのではないかと思われます。

やがて、当時広まりつつあった仏教の流入によって、仏教の中で海の彼方にあるとされていた「補陀落浄土(観音菩薩が住まわれる浄土)」信仰が強くなります。

そして平安期以降、日本各地で密教の広まりと共に弘法大師への信仰が広がります。

大師は讃岐の国(香川県)の出身で、青年期に四国の山中海岸、太龍岳、室戸岬、石鎚山などで山道修行を行うことで虚空蔵求聞持法の智恵を得たとされています。

そのため大師にあやかろうと、多くの僧らが悟りを求め、各地より大師ゆかりの遺跡や霊場に修行・参拝に訪れるようになります。

「高野山往生伝」の中では沙門蓮待(初期の高野聖)が1098年頃、土佐金剛定寺(現在第26番金剛頂寺)に、西行法師も「西行法師家集」の中で弘法大師ゆかり地を巡ったことを記載しています。他にも多くの僧たちが弘法大師に憧れ、四国を訪れました。このことも四国遍路の基礎のひとつとなったと考えられます。

現在のお遍路も弘法大師信仰に則ったもので、根の国・補陀落浄土への信仰は今の四国には見られません。

巡礼はもともと僧が中心の修行でしたが、江戸時代を境に庶民の姿が急増します。大師信仰が庶民にも浸透してくるにつれ、人々の中にも四国に行きたいと願う者が現れるのです。実際、この頃から庶民遍路の姿が歴史資料に現れ始め、庶民によって書かれた巡礼記や歴史資料が登場します。その理由は、江戸期における社会情勢の変化があったといえるでしょう。

江戸時代は戦乱期が終わり、社会が安定した時代。その中で封建制度が確立され、商人を中心とした裕福層が登場します。彼らは農民に比べ金銭的にも時間の上でも自由がありました。さらに封建制度は生活規制が厳しく、庶民が一時的にでも居住地を離れことをよしとしなかったのですが、巡礼に行くときだけは例外として居住地を離れることが認められたのです。このため、富裕層を中心に民衆巡礼が広がっていききました。江戸期以降に政権が安定すると、農民層にもゆとりが生まれ、富裕農民層にも巡礼が広まってゆきます。

また、徳川家康は全国を統一すると、大規模な街道の整備を進めました。街道が整備され交通環境が整ったことも、民衆の巡礼を盛んにさせた一因といえるでしょう。

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