透視霊術のコラム〈第7回〉透視霊術歴史に残る霊能者たち(2)
前回ご紹介した御船千鶴子を超える霊能者として、「千里眼ブーム」の主役となった女性がいます。長尾郁子、当時40才。香川県丸亀市に住む判事夫人でした。
郁子は千鶴子が話題に上る前から、たびたび火事や地震を予知して、周囲を驚かせていました。そんな彼女が千鶴子の透視能力を知り、試しに真似をしたら成功したのです。
噂を聞きつけて、東京帝国大学の福来博士がコンタクトを取ります。郁子の透視術は、千鶴子と決定的に異なる点がありました。それは、千鶴子が透視をする際、立会人に背を向け、対象物を手に取るのに対し、郁子は正面を向き、対象物には一切手を触れずに透視を行ったのです。
写真の乾板を用いて実験を行っていた福来博士は、乾板に薄い光が感光しているのに気づきました。それが透視をする際に発せられるエネルギーではないかと推測した福来博士は、郁子に全く新しい実験を試みさせました。「心」という字を写真乾板に写すよう念じてほしいと依頼したのです。実験は成功し、写真乾板には水に流されたような形ではあるものの、「心」という文字が浮かび上がりました。
これが、世界で初めて「念写」に成功した例だといいます。世界初の念写ができる霊能者として、郁子は世間から熱い注目を浴びますが、インチキと指摘する声もありました。そんな論争の中、郁子は急性肺炎で死去。自分を中傷する声に対して憤死したとも言われています。